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INTERVIEW
インタビュー

豊島晋作

テレビ東京の経済ニュース「ワールドビジネスサテライト(WBS)」でマーケットキャスターを担当している豊島さん。 骨髄提供したその様子が経済ニュースにも関わらず同番組でオンエアされ大反響を呼びました。 その当時の思いを振り返っていただき、様々な視点からお話を伺いました。

Q.登録したきっかけをお聞かせください。

遡って思い出しますと、小学生のときの出来事がきっかけです。仲良くしていた同級生のお母さんが白血病で亡くなりました。後になって、白血病を治療するためには骨髄移植という方法があり、移植を受けることができれば、この難病から回復する可能性があることを知りました。

ただ、当時はまだ子供だったこともあって、骨髄バンクに登録するという考えは浮かびませんでした。そうして月日が過ぎていきました。

しかし社会人として働き始めてからだいぶたったある日、番組の取材でお世話になっていた証券会社の方が突如、急性白血病で入院されました。家庭ではよき父親でもある四十代の働き盛りの男性です。普段から仲良くしていただいていた方でもありました。そんな方にわずかでも役に立つ可能性があるならば、それはドナー登録かもしれない。そう思ったのが登録のきっかけです。(その証券会社の方は、抗がん剤治療を乗り越え、無事に回復され、今でも取材でお世話になっています。)

Q.提供相手は、家族や友人ではない面識のない方ですが、提供を決められたのはなぜですか?

もともと登録する時点で、誰であれ必要とする方の命の役に立てばよいと思っていました。なので面識のない方でもある方でも、常に提供するつもりでいました。人生はいつどうなるか分かりません。いつか自分が白血病になったら、きっと骨髄バンクを頼るでしょう。だから健康な今は「頼られる側」になっておこうと思っただけです。

Q.骨髄バンクから提供依頼の封筒が届いた瞬間はどんなお気持ちでしたか?また、ご家族の反応はいかがでしたか?

何といいますか、ある意味、身の引き締まる思いでした。バンクに登録した時点では、いつドナーに選ばれるかは分からず、普通に、あるいみ漫然と過ごしていました。

しかし実際に封筒が届くと、自分のHLA型と偶然にも適合した方のことを考えるようになります。おそらく出会ったこともない誰かです。封筒が届いた瞬間から、その「誰か」のために生きる毎日というのは、かつてより「生き甲斐」のようなものを強く感じる日々になりました。

自分が健康体を維持して移植の日を迎えることが、その誰かの命にとって決定的に重要なことになる。そういう思いです。家族は、最初から「人のためになるならば」と理解してくれました。父親がかつて親族間移植のドナー候補になったことがあったことも、そうした理解を助けたようです。

Q.人気キャスターとしてご活躍され、連日穴をあけるわけにはいかないお仕事の中で迷いはなかったですか?また、提供にあたりご苦労されたことはありますか?

検査などで、病院には5~6回以上は通いました。仕事の合間をみつけてそのための時間を確保するのには少し苦労したのを覚えております。ただ提供によって、どなたかの命が助かる可能性が出てくるわけですから、私にとって、それは仕事よりも明らかに優先すべきことでした。

WBSという経済ニュース番組を視聴者に届ける私の仕事は、確かにやりがいのあるものですが、誰かの命を助けることができる仕事ではありません。

一方で患者さんは、移植を受ける前に非常につらい抗がん剤治療を受けていると聞いておりました。なので、私が日程を調整する苦労などは、そうした苦労に比べればさしたる苦労ではないとも思っておりました。

ドナーになるのは、一生に一度か二度のこと。毎日の仕事と比べ、どちらが大事か。私にとって答えは明らかでした。このとき、会社が理解を示してくれたことはとても助かりました。

Q.なぜ、番組内で提供の様子を放送することになったのですか?

WBSは本来、経済ニュース番組です。その番組で今回のような移植について取り上げることは、ほぼ前例のないことでした。しかし最終的には「社会的に放送する意義がある」と、プロデューサーを始め番組として判断しました。

高齢化が進む中、骨髄ドナーが減少している社会的現実などもきちんと伝える必要があるとの判断でした。また番組出演者がドナーに選ばれるのはとても珍しいことです。よって、私という出演者の目線を通じ、提供の模様が全てテレビカメラで撮影できるというのも放送する際のプラス要素になったと思います。

おかげで、撮影にあたった後輩ディレクターには、私の裸を目撃されることになりましたが。笑。

Q.提供までに準備されたことや、提供するときのお気持ちを教えてください。

病気になると移植手術ができなくなる知り、とにかく体調管理には気を付けました。冬の時期だったこともあり、インフルエンザや風邪などには特に注意したのを覚えています。

特に検査を全てパスして、いよいよ提供が確定した後は、体調管理にミスがあってはならない、交通事故などにも絶対あってはいけないと、日常生活の中でもいろいろと気を付ける日々でした。当時は毎日、番組のオンエアを抱えていたので体調には特に注意したのですが、このときはかつてないほど気を配って過ごしたのを覚えています。

なので、無事に体調を崩さずに手術を迎えることができたときは、正直ほっとしたのを覚えています。何とか自分の務めを果たすことができたと。そういうこともあり、手術後は好きなだけ食べてお酒を飲みました。笑。

Q.提供をして今はどんなお気持ちですか?また、提供して変わったことはありますか?

提供後、患者さんとその奥様から丁寧なお手紙を頂きました。白血病と宣告されたときは夫婦で目の前が真っ暗になったこと。それでも二人で手を取り合って移植の日を迎えたこと。そして感謝の言葉。最後まで丁寧な字で綴られていました。

当時も今も、どこにお住まいのどなたかは分かりません。しかし、一切の匿名性を超え、不思議な命の繋がりのようなものを感じることができたように思います。それはかつてない強烈な経験でした。

骨髄提供という特殊な経験でしか感じることはできない、全く特別の感慨がありました。自分は医者ではありません。人の命を救ったりすることもできません。でも骨髄移植なら、誰かの命の助けになることができる。提供後1年間はドナー登録保留ですが、今後も登録継続するつもりでいます。

Q.少子化、若者の献血離れや骨髄ドナー登録離れによるドナー登録数減少については どう思われますか?

少子化という流れがある以上、ある意味でやむを得ない部分はあるかと思います。しかしそういう状況だからこそ、より多くの方に骨髄移植についてもっと知っていただければと思います。

誰しもが白血病になるリスクはあります。おそらく自分や愛する家族が白血病になったとき、ほとんどの方が骨髄バンクを頼ることになると思います。

なので、骨髄バンクというのは、どちらかと言うと、人々の「善意のシステム」というよりは、自分や愛する人が病気になったときのための「助け合いのシステム」だと思っています。この助け合いのシステムについて、人々の理解が深まることを願っています。

Q.スポーツ、音楽、アートとコラボレーションすることで今まで繋がりづらかった「骨髄バンク」と「若者」を繋げようとしている「Snow bank pay it forward」の活動をどう思われますか?

多くの健康な若い方は、骨髄バンクについての情報に接する機会が少ないと思います。なので、スポーツや音楽、アートとコラボレーションすることを通じて、若い方々に骨髄バンクのことを知ってもらえるのは大変貴重だと感じてますし、ぜひ私も可能な範囲でご協力させて頂ければと思っております。

Q.豊島様から伝えたいことがございましたらお願いします。

今回、提供させていただいた患者様から感謝のお手紙を頂きましたが、私の方こそ、提供を通じていろいろと自分の人生について考えたり、学ばせて頂きました。

骨髄提供はリスクを伴うものではありますが、私にとってはかけがえのない経験をさせてもらったと思っております。だから、実は私の方こそ患者の方に感謝している次第です。

正直に申しまして、今はそういう心境でおります。また、提供した私のことばかりつらつらと書いてしまいましたが、やはり提供するドナーの周りの方々のサポートは非常に重要だと思います。私の場合、テレビ東京という会社を始め、番組スタッフ、家族など周りのサポートがあったから、ほぼ不自由を感じずに移植に臨めたのだと思います。その意味では幸運でした。なので、どうか職場などで同僚の方などがドナーになられたときは、是非暖かく支えて頂ければと思います。

《プロフィール》

豊島晋作(とよしま・しんさく)
1981年福岡県生まれ。テレビ東京報道局所属。2005年3月東京大学大学院法学政治学研究科修了。同年4月テレビ東京入社。政治担当記者として総理大臣官邸や与野党を取材した後、2011年春からWBSのディレクター、同年10月からWBSのマーケットキャスターを担当。骨髄バンク登録しており、ドナーに選ばれたため、骨髄液を提供をされワールドビジネスサテライトにて骨髄提供の様子を密着取材した映像が放送。
2016年テレビ東京ロンドン支局長としで活躍

豊島さんの移植の時の動画

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